禅宗物語
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心と性

ある学僧南陽にいる慧忠国師のもとに教えを請いに来た。そして、「禅は心の異名すが、心は真如実性で、においては増えず、凡夫においては減らない。禅宗の祖師たちはこの心を性と言い換えました。では、禅師にお尋ねします。心と性の区別はどにありますか」と慧忠国師に聞いた。

慧忠は遠慮せずに答えた「迷う時に差別あり、悟る時に差別ない」と。

学僧更に、「経に曰く、『仏性は常で、心はである』とどうして禅師無差別だと言われたのですか」と聞いた。

すると、慧忠国師例を挙げて説明した。「おまえはただその言葉だけにこだわって、その真の意味を全然考えなかった。例えば寒い時に、水は凍って氷になるが、暖かい時また水に溶けこれと同じように、迷う時に性は凍って心になり、悟る時に心は溶けて性になるわけだ。もともと心と性は同じで、迷う悟るによって差別が出てくるのだ。

学僧はやっと分かった。

仏教においては、心と性の異名が数多くある。例えば「本来の面目」、「如来蔵」、「法身」、「実相」、「自性」、「真如」、「本体」、「真心」、「般若」、「禅」などである。これらただ様々な方法によって人々に自分のことを認識させるためである。迷い、悟りには差別はあるが、本性には差別はない。例えば、黄金は皆同じであるが、イヤリング、指輪、ブレスレット等様々なものに作ることができるれらのものは差別があるが、本質は全部黄金であるこれが分かれば、心と性名は違うが、実は皆我々の本体であるということが分かる

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