ある信者が仏殿で仏を拝んだ後、庭を散歩していました。すると、ちょうどその時、草花を片づけている庭師に会いました。庭師は挟みで葉を切ったり、草や花を引き抜いてほかの鉢に移したり、水と肥料を枯れた枝に与えたりして、ばたばたと忙しそうにしています。信者は「庭師よ、なぜ枯れた葉を残して、水と肥料を与えながら、却って生き生きとした葉を切り捨てるのですか。またなぜ、花を他の花鉢に移したのですか。さらに、植物のない土地なのに、どうして鋤(すき)でたがやしているのですか。その必要はないと思いますが。」と語りかけました。
「花や草などの植物を育てるのは、子弟を育てるのと同じですよ。」と庭師が答えました。
それを聞いて、「花や草などを人と比べることはできないと思います。」と信者は何気なく言いました。
「まあ、花や草の世話をするなら、四つの方法が大切ですね。一つ、青々とした生い茂るような枝葉は、切り捨てたほうがいいですよ。なぜなら、その枝葉は生き生きとしているが、実は規則に背く成長をしてきたものです。その枝を摘めば、多量の肥料をほどこすことが避けられます。若者の教育もその通りです。得意になって気勢をあげている人に、悪い習慣を捨てさせ、正しい人生の道を歩ませたほうがいいです。二つ、花を根ごと引き抜くのは、その根を瘠せた土地から離して、肥えた土地に入れようとするのです。若者は立派な人になろうとする時、同様に悪い環境から離れ、優れた人に近づくようにします。三つ、枯れた枝を特に大事にするのは、その死んだように見える枝には、実はまだ生きる希望があるからです。不良少年に対する教育もそうです。外見から品行の悪い人はよくなる可能性がないわけではありません。人間はもともと善のものですから。したがって、不良少年をいい子にさせるためには、行き届いた世話が必要だと思います。四つ、植物のない土を耕すのは、土の中に芽生える種があるからです。貧しい学生に対する教育も同じです。彼らをきちんと成長させるため、力を貸すのが重要だと思います。」と禅師は仕事をしながら言いました。
それを聞いて、信者は感心して、「禅師、ご指導、ありがとうございました」と言いました。
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