良寛禅師(りょうかんぜんじ)は一生怠惰に過ごすことなく、修行参禅(しゅぎょうさんぜん)に励みました。年をとったある日、ふるさとから一通の便りが届きました。甥がまともな仕事につかずに遊びほうけて、家の財産を使い果たそうとしています。故郷の人々はこの甥が心から悔改め、新しい人生を始めるよう希望して、おじさんの良寛禅師に甥を助けてもらおうと思ったのでした。
良寛禅師は故郷の人々の想いに感動し、三日間歩いて、やっとふるさとへ帰り、甥に会ってみました。甥はおじさんの禅師に会って、非常に喜びました。そして、おじさんに自分の家に泊まってもらうよう強く願いました。
良寛禅師はその晩、甥の家で一晩中坐禅していました。翌日の朝、別れるとき、「もう年だから、手がずっと震えている。草鞋(わらじ)のひもを結んでもらってもいいかな。」と甥に言いました。
甥は快く草鞋のひもを結びました。
良寛禅師は「ありがとう。年とると、ますます衰えていきます。自分を大事にしてください。若いうち善人になって事業の基礎を固めたほうがいい。」とやさしく言いました。
話し終えると、禅師はすぐ出かけることにしましたが、最後まで、甥の非行に少しも言及しませんでした。ところが、禅師の帰ったその日から、甥は酒色にふけることをやめ、新しい人生を歩むようになったのです。
禅宗の教育法は時には面と向かって責め、時には問い返し、時にはあまりはっきりしてはいないが、意味の深い言葉を言ったり、時には暗示と含蓄を深く含んだ言葉を発したりします。禅の教育の本質は「すべては言わない。」ことにあります。それは、心の内面にあるものこそ自分の全部だからです。
世の中の子供を育てる親こそは、そういう禅の心を理解すべきです。
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