禅宗物語
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心の火を取り除く

  ある戦場経験の豊かな将軍が戦争にあき、大慧宗杲禅師(だいえそうこうぜんじ)のところへ行ってこう言いました、「禅師、私はもう浮世のすべてを看てしまいましたから、どうかお慈悲を垂れ、私を出家させていただき、弟子にしていただけないでしょうか」と頼みました。

 禅師は、「将軍は家族もあり、社会的関係も深いですから、まだ出家できません。ゆっくり考えてください。」と禅師は答えました。

将軍は、「禅師、私は今、何でも捨てられます。妻、息子、娘、家庭は全部問題ないです。今すぐ剃髪していただきたいです。」と再三、頼みました。

  宗臬は、「では、あとで話しましょう。」と返事しました。

 将軍は仕方なく帰りました。ある日、早起きして寺へ佛を拝みに来ました。大慧宗臬禅師は将軍を見ると、すぐ「将軍はどうしてこんなに早く佛を拝んでいるのですか?」と聞きました。

 将軍は習い覚えた「禅の詩」で「心中の火を消すために、早起きして師尊を礼拝するのです。」と答えました。

 禅師も禅詩で「こんなに早起きして、奥様が不倫することを心配しませんか?」と冗談のように聞き返しました。

これを聞いて、将軍はかんかんに怒り、「変わっている、そういう話は人を傷つけるものではないか。」と禅師を罵りました。

 禅師は大声で笑いながら、「ほら、ちょっとだけ扇子を煽いだだけで、気性からの火がまた燃え出してしまいました。こんなに怒りっぽいのでは、すべて捨てるわけにはいかないのではありませんか。」と言いました。

 「放下(ほうげ<心に抱えているものを下におろす>)せよ!放下せよ!」と言う言葉だけでは放下出来るものではありません。「決意を述べる時は悟ったようであるが、いざ仏門に入ろうとすれば迷いが生じるものだ。」といういわば「山河は変わり易いが、根性は除き難い」の言葉どおり、人の根性は簡単に変わるものではありません。修道し、出家したい人々は誰でも、一時の心の衝動で発心し、最後は物笑いの種になることを、どうぞ避けてください。

 

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