雲岩禅師が草履を編んでいる時、洞山禅師がそのそばを通りかかった。こう言った。「先生、一つ欲しいものがありますが、よろしいでしょうか。」
「何だね?」と雲岩禅師は返事をした。
洞山禅師は遠慮せずに、「先生の目玉が欲しいのです」と言った。
雲岩禅師は穏やかに言った、「目玉だと?自分の目玉はどうしたのかね?」
洞山禅師は、「自分には目玉がありません」と言った。
雲岩禅師はにっこりと笑って、「もし、あなたに目玉があるとしたら、どうしようと思うのか?」
洞山は応答に困った。
すると、雲岩禅師は真剣な顔をして改って洞山禅師に言った、「あなたの欲しい目玉はおそらくわしのものじゃなく、あなた自身の目玉だろう」と。
今度は洞山禅師は口ぶりを変え、「実は自分の欲しいものは目玉ではありません」と言った。
雲岩禅師はついこの前後矛盾した言い方に我慢できず、「出て行け」と洞山禅師を怒鳴った。
洞山禅師は全然驚かず平然として、「外に出ても構いませんが、ただ自分には目玉がありませんから、これからの進むべき道がどうにも見えません」と言った。
雲岩禅師は手で自分の胸を撫でながら、「ずっと前にあなたに渡してあるじゃないか。今また、なぜ見えないなんて言うのか」と洞山禅師に言った。
洞山禅師はそこで直ちに悟ったのだった。
他人に目玉をもらうとした洞山禅師は、実に怪しいことだ。雲岩禅師みたいな偉い人でも、最初はただ「目は自分の顔の上にあり、他人にもらうものではない」ということしか教えられなかった。最後に、洞山禅師が本当に欲しいのは肉眼ではないと分かったから、雲岩禅師は今度は「心眼」という妙道を教えたのだ。それを知って初めて、今度は洞山禅師が悟ることができた。
肉眼をもってこの世間のすべてのことを見渡せる。それはただ表面的で、有限で、現象的なものに過ぎない。心眼をもってこそこの宇宙のすべての物事の本質が観察できる。このような観察は普遍性があり、不変的なものである。洞山禅師が肉眼をもっていても、進むべき道がまるで見えなかったのはおかしくはない。その道とは自分の正体であり、まさに仏になる目標であった。雲岩禅師に「心眼」の不思議な効用を教えられて、洞山禅師はとっさに悟ったのである。
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