禅宗物語
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幾重か

  翰林院(かんりんいん<主に詔書の 起草に当たった役所のことをいう>)の詩人、蘇東坡(そとうば)は照覚禅師(しょうかくぜんじ)と道(どう)について論じた時、「情と無情は種智(しゅち<類>)が同じである」の話を聞いて、さっと悟ってしまいました。そして、「未参禅前」、「参禅中」、「参禅悟道後」という三偈(さんげ<仏典の中の仏徳をたたえた三つの韻文>)を書き、体得を表明することにしました。

  「未参禅前(座禅をする前)」の境地は即ち、

横看成嶺側成峰(より看れば嶺となり、傍らよりは峰となる)

遠近高低各不同(遠近 高低おのおの同じからず)

不識廬山真面目(廬山の真面目を知らざるは)

只縁身在此山中(ただ身のこの山中にあるによる)

(廬山は)横から見ると山脈状に連なった嶺々になり、わきから見ると一つだけ空に抜きん出た峰になり。眺める角度を変えると、姿が変わって見える

         (嶺々の)遠近や高低といったものは、それぞれの(嶺)によって異なる

         廬山の本来の姿が分からないのは

         それはただ、自身が(廬山の)山の中にいることに因るのだ

  

「参禅中(座禅をしている時)」の境地は即ち、

 

廬山烟雨浙江潮廬山の煙雨 浙江の潮

未到千般恨不消未だ到らざれば 千般 恨 消えず

到得歸來無別事到り得 還り來れば 別事 無し

廬山烟雨浙江潮廬山の煙雨 浙江の潮

         廬山のきりさめと、浙江の銭塘江の潮の遡上(とは天下の奇観である)。

         まだ行っていない時は、いろいろと心に思い悔やむことが消えない

        (しかしながら)帰って来てみれば、どうって事は無く。

廬山のきりさめはきりさめで、浙江の銭塘江の潮の遡上は、潮の遡上(に過ぎない)。 

 

「参禅悟道後(座禅をして道を悟った後)」の境地は即ち、

 

声便是広長舌渓声すなわち是れ広長舌

山色無非清浄身(山色あに清浄身にあらず

夜来八万四千偈(夜来八万四千の偈

他日如何挙似人(他日いかんが人に挙似せん

山色豈清浄身に非らざらんやから見ると一つだけ空に抜きん出た

 

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