無相禅師(むそうぜんじ)は正直に「もちろんです。佛法は、日光がどこにも射し込むように、奥さんに利益を与えることだけではなく、衆生にも利益をあたえます。」と答えました。
農夫は不満に思って、「でも、妻はとても弱く、ほかの衆生にいじめられ、功徳を奪われるかもしれません。禅師、お願いですから、彼女だけを済度するために、お経を唱えていただきたいのですが。他の衆生に回向(えこう<自分の功徳を他に巡らせる>)しないでいただきます。」と禅師に願いました。
無相禅師は農夫の私心にあきれましたが、それにしても丁寧に「自己の功徳をして、他人に与えると、それぞれの衆生に佛法の利益を与えることになります。それは巧妙な法門です。回向(えこう)には事を回し、理に向かい、因を回し、果に向かい、小を回し、大に向かう内容が含まれています。それは光が一人だけを照らすのではなく、大衆も照らしているようです。また、太陽のように万物を照らし、植物の種がそれを受けて様々な果実になるのです。あなたは発心し、蝋燭を燃やしたのなら、多くの蝋燭の火を引き起こすべきです。そうすれば、光が非常に強くなるだけではなく、あなたの蝋燭の光も弱くなりません。もし、みんながその意識を持っていれば、皆の回向を受けたために、小さな自身さえ功徳を得られます。なぜ喜ばないのでしょうか?ですから、佛教子(仏教徒)は平等に衆生を取り扱うのです。」と農夫に教えました。
農夫はまた頑固に「その教えはとてもいいですけど、法師は例を破っていただきます。一人の隣人がよく私をいじめたり、害したりします。お願いですが、彼を衆生から除いていただきたいのです。」と言いました。
無相禅師はおごさかな口ぶりで「一切と言う意味には、何か除かれるものがあるのでしょうか。」と返事しました。
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