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千古の模範

  唐朝の百丈懐海(ひゃくじょうえかい)禅師は衆林(しゅうりん)を切り開いた馬祖道一(ばそどういつ)禅師を受け継ぎ、系統的な衆林規則すなわち『百丈清規』(ひゃくじょうしんぎ)を制定しました。いわゆる、「馬祖は衆林を切り開き、百丈は清い規則を立てた。」です。百丈禅師は一日不作一日不食(一日作さざれば一日食らわず)の農禅生活を提唱しています。

  最初は、多くの困難がありました。佛教が戒を規範とする日常生活であるため、百丈禅師がそれを改めて、農禅を提唱したので、皆に外道(げどう)と批判されました。禅師が住職をしていた寺は百丈の最高峰にあるので、百丈禅師とも呼ばれたのです。毎日衆を引率し、修業する外に、労役にも自ら服していました。日常の暮らしでは、自力で、極めてまじめな人でした。日常の些細な事務さえ他人に任せようとしませんでした。

だんだん百丈禅師は年をおとりになりましたが、毎日、山へ芝刈りに行ったり、耕作したりしていました。農禅は自耕自食の生活だったからです。弟子たちは年をとった師父が重労働をするのを見て心を痛めました。それで、禅師に皆と一緒に労役しないように頼みました。しかし、百丈禅師は「徳がないから、他人に任せることができない。人生は自ら労働しないと、役に立たない人になってしまう」と言っていました。

弟子たちは、見かねて農具を隠しました。禅師は農具が見つからないので、その日の食事をとりませんでした。弟子たちは師匠に、「なぜ食事を召し上がらないのですか?」と尋ねました。百丈禅師は「一日作さざれば一日食らわず」と答えました。

弟子達は仕方がなくて、道具を禅師に返して、師匠の労働を止めることができませんでした。百丈禅師の「一日不作、一日不食」の精神は衆林の千古の模範になっています。

念仏であろうと、参禅であろうと、修行は怠け者の口実ではありません。現代の禅者に是非、百丈禅師の言葉をよく味わってもらいたいです。

 

 


 

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