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飛来峰石刻彫塑群(ひらいほうせきこくちょうそぐん)


  飛来峰造像群(ひらいほうぞうぞうぐん)は霊隠寺前の飛来峰の岩壁に刻まれ、冷泉渓(れいぜんけい)で霊隠寺と隔てています。飛来峰は石灰岩(せっかいがん)でできた山で、高さ168メートル、山頂には五代から元代までの石像が300余り散在しています。山には、青林洞(しょうりんどう)、玉乳洞(ぎょくにゅうどう)、竜泓洞(りゅうこうどう)など数多くの洞窟があり、また変わった形の岩石も点在しています。石壁には仏像、菩薩像と祖師像(そしぞう)が彫刻されています。これは浙江省で最大規模の彫塑群です。

  長さ約600メートル、幅約200メートルという区域内に、飛来峰彫塑が153(がん<彫刻の組み合わせ>)、合計470体もあります。中には、比較的よく保存されている仏像が338体あり、その内、五代の題記(彫塑につける大まかな説明)があり、五代スタイルの彫塑が11体、宋代のが222体、元代のが96体あります。それ以外の彫塑は明代のものです。飛来峰彫塑群には、五代時代の彫塑が10体余りも保存され、山頂と青林洞の洞の口に分布しています。すべて浄土宗の「西方三聖」で、青林洞の入口の西側には、後周の広順(おうじゅん)元年(951年)、滕紹宗(とうしょうそう)の出資で彫刻された弥勒観音勢至造像があり、飛来峰において最も早く題記された仏(ぶつがん<仏像を収める仏具>)です。三大石像は蓮(はす)の須弥座に座り、後ろに炎模様(ほのおもよう)の後光(ごこう)が飾られ、唐末の彫塑のスタイルが見られます。

 

 

 北宋の彫塑は200体余りもあります。金光洞(こんこうどう)の中に分布しているのは小型の羅漢像(らかんぞう)で、玉乳洞の中にあるのは比較的大型の六祖像(ろくそぞう)である。六祖像は天聖(てんせい)四年(1026年)の作品で、比較的素朴な雰囲気がします。青林洞の南口の岩壁には、乾興(けんこう)元年(1022年)の「毘盧遮那仏会」という浮き彫りが整然と並んでいて、生き生きとした感じを出しています。冷泉渓(れいぜんけい)の南側には南宋の弥勒像中心の仏が一つ安置されています。弥勒像の両側に十八羅漢(じゅうはちらかん)が(まつ)られそれぞれの特徴がよくとらえられていて、表情姿態の動き豊かに表現されています。

 

 

 元代の彫塑は100体近くあります。その内、題記がはっきり見えるのが19体あります。彫刻の技法が精美で、比較的保存状態が良いです。これらの彫塑は冷泉渓の南岸や青林洞、玉乳洞などの周りの断崖絶壁(だんがいぜっぺき)に分布しています。仏像は螺髻(らけい<仏像のちぢれた頭髪>)が高く(そび)てお、斜めに衣を羽織り、右胸と腕を露出しています。菩薩像は頭に宝冠をかぶり、薄紗(はくさ<絹の薄織物>)を付け、または上半身裸で、優しい面立ちで、スタイルがいいです。これらの彫塑は唐宋時代の伝統的芸術の技法を受け継いでいるとともに、チベット族やモンゴル族の芸術的な特色にも富かに合致しています。

  飛来峰彫塑群の布袋弥勒像は冷泉渓(れいぜんけい)の南側に位置し、飛来峰では最も目立つ彫像です。飛来峰で最大の造像であり、長さ9,9メートルで、高さ3.6メートルあります。弥勒は腹と胸を出し、笑顔で人々を眺め、落ち着いて座っています。両側に十八羅漢が擁護しているかのように控えています。弥勒は片手で布袋(ぬのぶくろ)を押しながら、片手でじゅずを持ちニコニコと笑っています。西暦1000年に彫刻された、この宋代の傑作はすでに飛来峰彫塑群のシンボルとなっています。「弥勒」は梵語(ぼんご<古代インド語>)の音訳で、「慈氏」と意訳されます。弥勒は兜率天(とそつてん)に住み、お釈迦様(おしゃかさま)に継ぎ、未来世において仏となると言われます。中国のお寺で祀られ、笑い顔の弥勒像の原型は、五代の契此大師(かいしだいし)です。大師は浙江奉化(ほうか)の人で、岳林寺で出家しました。弥勒の化身とされる契此大師が人々からこのように祭られています。

 

9100 人数