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大雄宝殿(だいおうほうでん)



 

大雄宝殿(だいおうほうでん)は正殿(しょうでん)、あるいは大殿(だいでん)とも呼ばれ、釈迦牟尼佛(しゃかむにぶつ)の塑像をまつる殿堂です。大雄宝殿は天王殿の後ろに位置し、霊隠寺の第二境内の殿堂です。高さ33.6メートル、幅七間で、総面積は1200平方メートルあります。全体的に外観に勢いがあり、雄大で壮観な感じのする宝殿です。この殿堂は唐代の建築様式を取り入れた清代のもので、中国古代の単層歇山重檐式の伝統的な手法を取り入れたものです。また、色彩は朱色及び光沢を持つ深緑(ふかみどり)を基調としています。「二匹の竜が珠を奪い合う」屋根と、空へ飛び出している軒が全体を高大な感じにしています。屋根は瓦(かわら)で飾られ、窓に貼る切り紙、斗拱、天に舞う神霊たちの浮き彫りや天井には雲や竜の絵があります。これらは芸術的に非常に高いものがあります。

 

 

本殿の中央に蓮花台(れんかだい)があります。蓮花台の上で結跏趺坐(けっかふざ)をする仏像は釈迦如来仏(しゃかにょらいぶつ)の彫像です。彫像の高さは24.8メートル、石の蓮花座から背光頂までの高さは19.6メートル、仏像は9.1メートル、仏像の耳は1.3メートルです。この仏像は24本の樟(くすのき)の木材でできたもので、樟の木彫りの坐像としては中国で最大のものです。また、この像は中国の寺院の中でまつられている仏像の中で二番目に大きな仏像でもあります。全体的な造形は豊満な感じがします。仏像の頭はすこし前に傾き、目は前を凝視しています。穏やかで優しく、荘厳でうやうやしい感じがします。左手は横にして足の上に置き、右手は上に向かって説法印をしています。

 

 

この仏像は1953年に霊隠寺が再建された時、中央美術学院の華東分校(今の浙江美術学院)の鄧白(とうはく)教授が唐代の禅宗の有名な彫塑(ちょうそ)の仏像を基礎とし、中国の華東地区の民間の職人たちとともに設計から始めて作りあげたものです。この間に、故周恩来総理の批准をえて、二度にわたって、政府から現金と黄金の現物を受けとり、仏像の金の装飾をあらたに作ったものです。

 

 

 

殿内の東西両側には「二十諸天」の立像があります。法器や兵器を手に、それぞれ表情と姿勢が異なり、生き生きとしています。東側には娑竭羅竜王(しやがらりゅうおう)、増長天王(ぞうじょうてんのう)、堅牢地神(けんろうじしん)、鬼子母神(きしもじん)、韋駄尊天(いだそんてん)、摩醯首天王(まけいしゅらてんのう)、多聞天王(たもんてんのう)、大功徳天(だいくどくてん)、日宮天子(にちぐうてんし)、大梵天王(だいぼんてんのう)が並んでいます。西側には閻魔大王(えんまだいおう)、摩利支天(まりしてん)、広目天王(こうもくてんのう)、菩提樹神天(ぼだいじゅしんてん)、散脂大将(さんじたいしょう)、密迹金剛(みっしゃくこんごう)、持国天王(じこくてんのう)、大弁才天(だいべんざいてん)、月宮天子(がっくうてんし)、帝釈尊天(たいしゃくそんてん)が並んでいます。 

 

 

殿内の後ろ側には、十二尊の座像があり、「十二円覚」菩提ともいわれています。東側に六尊あり、それぞれ文殊菩薩(もんじゅぼさつ)、普眼菩薩(ふげんぼさつ)、賢首菩薩(けんじゅぼさつ)、光音菩薩(こうおんぼさつ)、弥勒菩薩(みろくぼさつ)、净音菩薩(じょうおんぼさつ)です。西側にも六尊あります。それぞれ、普賢菩薩(ふげんぼさつ)、妙覚菩薩(みょうかくぼさつ)、善慧菩薩(ぜんねぼさつ)、善見菩薩(ぜんけんぼさつ)、金剛菩薩(こんごうぼさつ)、威音菩薩(いおんぼさつ)です。殿内にこのように「十二円覚」菩薩の彫像がまつられているのは、他の中国の佛教寺院になく、霊隠寺独特のものです。 

 

 

釈迦牟尼佛の彫像の後ろの壁は、「童子が観音を拝む」をテーマとする「善財童子五十三参」海島の立体群像です。この一連の彫像は高さ20メートルで、主に粘土で作られています。島の上には150体の大小の塑像があります。一つ一つ表情と姿勢が異なっており、生き生きとしています。まさに中国仏教芸術の最高峰と言えるでしょう。この壁の群像は仏教の『華厳経(けごんきょう)』を典故としています。つまり、善財童子(ぜんざいどうじ)が南へ遊学し、五十三人もの有名な師匠を訪問したということです。この群像は天、地、海の三層に分かれています。一番上はやつれてやせた死ぬ前の釈迦牟尼佛が雪山で生命を惜しまず修行していた様子です。中央にある麒麟(きりん)の上に座っている金身像は地蔵菩薩です。一番下は、足が鳌魚の頭を踏み、手が浄水瓶を持つ、世間に広く知られている観音菩薩です。観音菩薩の右側には、中国の伝統的な赤い下着を着た善財という童子がいます。左側には、竜女がいます。善財と竜女の両側は、南海に拝謁する十八羅漢です。

大雄宝殿の殿の外には、「妙荘厳域」と書かれた額が中央に掛かっています。この字は浙江省図書館館長である張宗祥(ちょうそうしょう)が書いたものです。「大雄宝殿」は書道家としての西泠印社社長である沙孟海(さもうかい)が1987年に書いたものです。

 

 

現在の大雄宝殿(だいおうほうでん)は宣統(せんとう)二年(1910年)に、江蘇の盛宣懐(せい せんかい)から巨資の提供を受け再建されたものです。建築材料は主にアメリカ産のチョウセンマツです。もともと李鴻章(りこうしょう)が海軍の軍艦を作るのに使おうとした木材でしたが、一部分は清朝の慈禧太后(じきたいこう)が北京の頤和園(いわえん)の再建に使われました。その残りが南、つまり、杭州の拱宸橋の埠頭(ふとう)に運送されて、霊隠寺の大殿を作るのに使われました。後に何回も修復されたことがあり、今日に至ったのです。

 

 

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