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清聳禅師

清聳禅師(せいしょうぜんじ)は福州省福清県の出身で、金陵清涼院(せいりょういん)の清涼文益禅師(せいりょうぶんえきぜんじ)の禅法の後継者でした。

始めて法眼禅師(ほうげんぜんじ)、つまり清涼文益禅師のところに行った時、法眼禅師は外で激しく降っている雨のしずくを指さし、清聳禅師にこう言いました、「滴滴落在上座眼里(雨のしずくがぽたりぽたりと僧の目の中に落ちる)」。しかし、清聳禅師はその意味が全然理解できませんでした。その後、『華厳経(けごんきょう)』を読んで、その言葉の意味をはじめて悟ったのでした。

清聳禅師はこのことを悟った後、明州(めいしゅう)の四明山(しめいざん)に戻って庵(いおり)を建て、布教し始めました。ある銭億(せんおく)という節度使(せっとし)が、心から清聳禅師に敬服し、弟子入りするため、禅師に対して弟子の礼をとりました。その後、清聳禅師は忠王(ちゅういおう)の誘いを受けて、臨安(現在の杭州)で説法しました。最後に、杭州の霊隠寺に移り住み、「了悟禅師(りょうごぜんじ)」と名のりました。「般若、非取非舎。若人不会、風寒雪下(まははんにゃ、取るに非ず捨つるに非ず。若し人会わずば、風寒く雪下る)。」は、清禅師がよく人を教示する時に使った言葉です。

なお、その後の禅師の生涯は不明のままです。

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