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徳章禅師

北宋の徳章禅師(とくしょうぜんじ)は、石霜楚円禅師(せきそうそえんぜんじ)の弟子でした。もと、大相国寺の西経蔵院に住んでいました。

宋の仁宗は仏法を聞くため、朝晩となく何度も徳章禅師を朝廷に招きました。その第一回目は慶暦八年(1048年)のことでした。徳章禅師は、延春閣というところで普照大師(ふしょうだいし)と禅宗の法について討論しました。第二回目は慶暦九年(1049年)のことで、また、仁宗の詔(みことのり)を受けて普照大師と禅法について話し合いました。さらに、第三回目も、成華殿(せいかでん)で守賢法師(しゅけんほうし)と禅の法について討論しました。皇佑二年(1050年)に、徳章禅師はこの仁宗皇帝に朝廷の公務からの引退願いを申し出ました。宋の仁宗はその願いを認めて、徳章禅師に杭州の霊隠寺の住職をつとめ、禅法を世の中に広く宣伝するように命じました。

徳章禅師は三回にわたって宮殿で禅法を講じたことと、宋の仁宗の命により霊隠寺の住職を務めるようになったという経緯とから、当時大きな影響力を保持していた人であることが分かります。

 

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