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幻旻禅師

北宋の幻旻禅師(げんびんぜんじ)は姓を葉(よう)と言い、河南省の信陽(しんよう)玉山の人でした。禅師は幼くして、すでに出家したいと思っていました。そこで親の許しを得て、興教寺(こうきょうじ)の省覃法師(しょうたんほうし)のもとで出家しました。戒を授けられて後も、幻旻禅師は四方を巡って仏法を求めました。宋の慶歴八年(1048年)、幻旻禅師は杭州に来て慧明禅師(えみょうぜんじ)を訪れ、その門人となりました。その後、慧明禅師について仏法をきわめるとともに、法務(ほうむ、寺院の仕事)も手がけました。のちに慧明禅師の推薦を得て監院(かんにん)に就任しました。しかし、間もなく寺院は火災で全焼してしまいました。

慧明禅師が亡くなった後、幻旻禅師は10年かからずに、焼失した寺院を再建しました。幻旻禅師はかつて上天竺(じょうてんじく)の寺に住み、のちに霊隠寺の住職に任じられました。人柄が穏やかて忍耐強い人だったので、人々は喜んで禅師に従っていました。

宋の嘉佑四年(1059年)の初冬、禅師は病(やまい)を得て、ベッドにふせっていました。そして、亡くなる前日まで、寺院の仕事を処理していましたが、次の日の朝、今何時かと聞いてから、座を正してお亡くなりになりました。享年61歳、出家して41年目のことでした。生前、朝廷から「普慈大師(ふじだいし)」という称号を賜りました。亡くなった後、高僧の契嵩(かいすう)は禅師のために碑を立てて、「故霊隠普慈大師塔銘」の碑文を刻みました。

 

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