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道斉法師

  唐の道斉法師(どうせいほうし)は姓を趙と言い、浙江省の銭塘(せんとう)出身でした。幼い頃から、物事を見通す能力を持ち、度量が広いことにかけては並はずれていました。のちに学校に入ってから、様々な古典に精通するようになりました。ある日、道斉法師は町である一人の僧が歩きながら、『凈名経(じょうみょうきょう)』を読んでいるのを見て、何か心が嬉しくなりました。そこでその法師に言いました。「今晩、私の家で食事をしませんか。」この僧は快く応じました。さて、この僧が食事をしているうちに、道斉はその僧の所属の寺の名前を聞き、定水寺(じょうすいじ)という寺であることを知りました。そこで、道斉は両親に出家したいことを告げました。すると、母親は「私があなたを産んだ時、夢に私の手のひらに、日と月がのっているのを見ました。目覚めてから、占い師にあなたの将来を占ってもらいました。するとその占い師は、「五品の役者(やくしゃ)」になる人だと言いました。もしあなたが出家してしまえば、そのことは実現しないことになってしまいます。」と言いました。せっかくの母の言葉ではありましたが、道斉はそれにはかまわず定水寺に行って出家しました。

道斉法師は十七歳の頃から戒律を勉強し始めました。その後、霊隠寺で華厳経を修め、また、天竺寺で座禅を学び、頭陀行(ずだぎょう)を修行しました。天竺山の上に岩穴がありましたが、道斉法師はいつもこの中で坐禅をしていました。しかし、そこは、虎や豹(ひょう)などの獣がよく出没しました。また、鹿も出ました。そんなある日、大きな蛇が現れ、赤い舌を出しながら、道斉を飲み込むようなふりをしました。しかし、道斉法師は少しも動かず、平気でいました。道斉法師は杖で地面に線を引きました。すると、泉水が湧き出てきました。

貞元二十一年(805年)に、各地の仏法の学者達が道斉法師に華厳経を説いてくれるよう頼みました。その時はちょうど冬でした。粉雪が舞う空の下に、驚いたことに、たちまち花二つが地面から出てきました。お経を聞きにきた人たちはこの不思議な景色を見て驚きました。

道斉法師は人々に愛された方でしたが、日常生活は、非常に質素で、服装も普通の人にとって考えられないほど粗末なものでした。その後、道斉法師は山寺の中で一人、お亡くなりになったということです。

 

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