霊隠寺の両石塔(りょうせつとう)は大雄宝殿(だいおうほうでん)の前にある露台(ろだい<屋根のない、見晴らしのいい台>)の両側に位置しており、銭弘俶(せんこうしゅく)が北宋の建隆(けんりゅう)元年(960年)に霊隠寺を再建した時作られたものです。当時は塔が四つありましたが、今は二つだけ残っています。北宋から残存する最も古い塔です。
八角の楼閣式の両石塔は木造建築をまねて、石材で作られたもので、中身が詰っています。両塔は42メートルほど離れています。高さは12メートルで、精緻な彫刻があり、一階から九階まで、上に行くほどだんだん小さくなっています。そのほか、東、西、南、北の各方向に線が滑らかな壷門があります。各階に回廊、柱、出檐、欄額、斗拱などがあります。檐子に木造楼閣式の塔をまねた檐子と筒瓦の模様があります。残念なことに、今塔刹の部分はすでに壊れてしまい、残された塔は11.49メートルの高さで、九層に分けられています。各層の四方には壷門があり、その中に閉められたままの実榻のドアがあります。ドアの両側は次間で、周囲は壁です。また、次間と壁に楷書(かいしょ)で書かれた経文や様々な仏像、菩薩像、僧侶像、天神像があります。塔の軒に筒板瓦、戗脊、椽子、飞子、滴水また瓦当があり、塔の下に須弥座があります。須弥座の八方に楷書で刻んだ『大仏頂陀羅尼経』の書があり、いまだに筆跡がはっきりしています。須弥座の基盤に五代の吴越の宝塔の時代に流行った「九山八海」もあります。東塔の両側に普賢菩薩(ふけんぼさつ)が彫刻され、西塔の両側に文殊菩薩(もんじゅぼさつ)が彫刻されています。東塔の塔身の西三階の軒下に石題額があり、その上に「吴興広済普恩真身宝塔」という字が刻んであります。西塔の石題額はすでに失われてしまいました。
千年あまりの歴史を有している石塔には、各部分にある程度の風化や破損などの跡が見られます。
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