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猿父の智一法師、嘯技で群猿を集める

  智一法師(ちいつほうし)は南朝劉宋の時の僧侶です。霊隠寺の飛来峰(ひらいほう)に深い洞窟があります。霊隠寺の開山祖師、慧理法師(えりほうし)がかつてその洞窟の中で一匹の白い猿を飼ったことがあります。それを聞いた智一法師はその名を慕って霊隠寺にやって来ました。そのまま、寺の中に住み、慧理法師と同じように何匹かの猿を飼い始めました。

霊隠は谷間が奥深く、植物が多く繁茂していました。その上、飛来峰は変わった形の岩や石、そして洞窟が多かったので、猿にとって好適の生存地でした。猿たちは一日中、山の樹木などに登ったり遊び回ったりして、静かな霊隠山に無限の活力を与えていました。

ところで、智一法師は特別な技能を持っていました。それは「簫技」(しょうぎ<口をすぼめて声を出し、猿たちを呼ぶこと>)でした。うなった声は風のように響き、寂しく悲しく谷間にこだましました。その声を聞くと、木は怖くて震え上がります。人々は松から出た悲しい音だと思っていました。

「簫技」ということは、声色(こわいろ)の一種ですが、今はすでになかなか再現できない技です。仏教の「嘯く(うそぶく)」とは如来仏(にょらいぶつ)と関係があるそうです。『伝燈録(でんとうろく)』によると、釈迦如来(しゃかにょらい)が生まれた時、一方の手で天を指し、一方の手で地を指し、口から獅子が吼えるような声を出しています。解釈によると、如来仏の吼えた声は、普通の虎や猿の出す声と違い、自然で気品があります。智一法師(ちいつほうし)の「簫技」にも仏教の根源的(こんげんてき)な意味があると思われます。

一方、智一法師の嘯技は道教(どうきょう)とも関係があります。道教では、「嘯く(うそぶく)」ことは養生(ようじょう)の道で、不老長寿の術(ふろうちょうじゅのじゅつ)の一種です。具体的な方法は、唇をすぼめて、力を込めて、長くて澄んだ声を出すことを通し、荒い息を吐き出しながら、ゆっくりと自然の新鮮な空気を吸い込むことです。また、簫技の伝承についてもとても神秘的だと言われます。言い伝えによれば、うそぶきは太上老君(たいじょうろうくん<老子を神格化した言い方>)が王母(おうぼ<古代神話中の女神>)に教え、また、広成子(こうせいし<中国の伝説、伝奇に出てくる仙人>)に教えてから伝わるようになったと言われています。

魏晋南北朝(ぎしんなんぼくちょう)の時、嘯技は文人、学者と仏道信者の間で大変盛んでした。例えば、有名な詩人、陶淵明(とうえんめい)が「登東皋以舒啸(東皋に登りて以て舒嘯し(じょしょう<ゆるやかに口笛を吹く>)、臨清流而賦詩(清流に臨んで詩を賦す(詩をつくる))」という詩を作ったことがあります。また、自分が「啸傲東軒下(嘯傲す<うそぶいて大らかな態度をとる>東軒の下)」という場面を描写したこともあります。

嘯くことは不思議な効き目があるそうです。当時、趙侯(ちょうこう)という人がいて食糧の米が家中の鼠に奪われたことに気づいた後、部屋の中で円を描いて、円の中に立って、髪の毛をぼさぼさに乱れた様子にして、いきなり長く嘯き出しました。すると、鼠が次々と走り出し、円の外で礼拝してから、盗んだ米を返しました。

智一法師の嘯技も大変優れています。嘯技を使って猿たちを招き集めることができたからです。活発で可愛い猿たちを見たくなると、いつも山門を出て、冷泉川(れいせんがわ)のほとりに来て、幽谷密林に向かって一声長く嘯くことにしていました。すると、猿たちは人間に慣れ親しんでいましたから、その嘯き声を聞くと、すぐに洞窟から跳び出して智一法師の周りに集まって来ました。

智一法師の嘯技と猿の人間のような習性は、霊隠寺の参詣客と観光客を感嘆させずにはおきませんでした。客たちはよく冷泉川のほとりで待ち、もし智一法師が嘯いて猿を集めたら、すぐ次々と猿たちに餌を投げて食べさせました。だんだん、こういうことが霊隠の観光項目の一つになってきました。智一法師はさらに、観光客や参詣客に餌を置いてもらうため、石製の台を作りました。この台がいわゆる「飯猿台(はんえんだい)」と呼ばれる台です。

智一法師は嘯技で猿を集めることができます。その一方、猿たちも人間のように智一法師に従順でした。このため、智一法師は「猿父(えんぷ)」というあだ名を与えられました。

霊隠の山林にはこんな猿たちが集まっていたので、いっそう趣があるようになりました。そして、このことについて詩を作る人も数多くなってきました。例えば、宋代の詩人高得陽(こうとくよう)は次のような詩を作っています、

冷泉亭外松千樹(冷泉亭のそとは松の木が多く茂っている)、

时有老猿啼樹間(猿が時々、樹の中で鳴いている)。

逐侣出雲風動(猿は侶<とも>を逐い、雲が現れ風が壑(えい<谷>)を動かし)、

呼儿帰洞月横山(猿たちは自分の子の猿たちを呼び、洞窟に帰ると、月が何もなかったように山に横たわる)。

 

 


 

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