霊隠文化

禅茶论坛 12「茶」という文字に見られる禅意

茶の清福は茶の良さとは関係なく、茶を飲む人の心によるものである。最高の茶であっても、それはのその味を知ってる人のために存在しているのである。

事務所には普段から好きなお茶を何種か備えてある。ある日、篆刻芸術家の孫先生が事務所に来た。私は孫先生に「どのお茶がお好きですか?」と聞いてみた。すると、彼は笑いながら手を振って、「茶のことは特別な要求はないです。どんな茶でも好きだ。健康と幸せには八字の秘訣がある。すなわち「粗茶淡飯、心態平和」です、と言ってくれた。

孫先生は七十歳を超えたにも関わらず、元気いっぱいである。その半生以上は志を得なかたっが、名利に淡白で、素直な人であったから、私は心から先生を尊敬している。運命で、時々名利や私心の誘惑に見舞われ、時々つらい思いや不公平な苦しみを受けるが、焦らず、愚痴をこぼさず、最も自然な心で、毎日お茶を二、三杯飲むことができれば十分幸せだと思う。

「茶」という漢字を説明すれば、「人在草木間(人間は草木の間にいる)」となるので、茶と人間の間に禅意の関連性があると思われる。人生の一生は草木の一生と同じで、幾度となく冷暖を体験させられ、煩わされる。ただ一切の掛碍を放下し、心を静め、さっぱりとした茶を手に、浮世の変化を眺める。大きな時間の流れの中で、自らは安らぎと穏やかさを保っている。

私は常に茶の清福を願い、また茶の香りから、人生の本当の味を吟味しようと思っている。

編集者:性恩行者  編集日付:2013-08-15

2832 人数