霊隠文化

禅茶论坛 10 禅茶文化と現代生活

寺院では喫茶・茶栽培が重視され、仏学の哲理、人生観と溶け合って、「茶仏合一」・「茶禅一体」・「茶禅一味」などの概念が生じた。茶と仏は相通ずるところが多い。つまり、両者とも主体の感受性を重視し、深く体得していないとその味が味わえない。喫茶の時、平穏で静謐な心で、順に従って秩序よく飲むことが要求される。また周囲の静かな環境及び内心の平和・清浄・安逸などが求められる。喫茶は参禅の始まりで、参禅は喫茶の目的でもある。茶の中に禅があり、禅は茶によって悟られる。二者は合一である。茶と禅が共に追求しているのは精神世界の純粋さと深化そのものであると言える。

  茶道の本質は、確かに瑣末で平凡な日常生活の中から、宇宙の奥秘と人生の哲理とを理解することである。禅も同じく、人が静かに思考することを経て、平凡で些細なことから大道を悟らせる。茶聖の陸羽は自分の様々な人生に対する理解を基に、茶から入道し、禅機に応じながら覚悟して聖になったものである。『茶経』という書物は茶を茶学・茶道にまで引き上げ、物質と精神の調和・統一を完成した。ここから抽象的な空論だけを通して入道するのでなく、平常心も道であって、「自然」の心境がありさえすれば、禅の真意を得ることができるのである。

  古来の大徳が「茶道の根本は清心にある。このことは禅道の中心思想でもある」と言っている。とにかく、唐宋以来、禅道は喫茶の品位と境地をレベルアップした。茶は人の心の濁りを清め、禅心の体験と悟りに寄与した。「禅茶一味」こそ、茶道の真髄である。

 「禅茶一味」の境地を本当に理解するには、自分なりの体験に依拠するしかない。このため、禅と茶の合一は、自分の心性を磨き、内心の教養を更なる高い境地に引き上げる。この体験は茶事の実践を通して初めて体得できる。また、茶の詩を吟味することによっても悟ることができる。「禅茶一味」の境地は人生を体得するのに貢献する。七杯の茶を飲むことによって、一壺の真味が得られる。空しく千百の偈を持つより、喫茶に行くほうがいい。さて、あなたは禅の中から茶の香りを嗅ぎ、茶の中から禅の味わいを体得することができましょうか?

  喫茶は人がその人生を自ら味わうのと同じように、それを飲んでみて、自ずとその冷たさ暖かさがわかるのである。参禅や坐禅などは人生を深慮し考察するためであり、喫茶・参禅によって、人生を体験し、心を清め、知恵を開発することが可能である。

 いいお茶一杯は、どんな人でも、生命の香りを開放的に味わえる。どんな境遇にいても、自分の香り・本心は変わらない。友人の皆様、「浮世、茶の如し」と申しますが、禅茶を一杯飲むことによって、人生の真意を感じられますよう、お祈り申し上げます。

編集者:大魚 編集日付:2013―08-06

 

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