霊隠文化

禅茶论坛 13 人事は茶の如し:三分を留めるは情理なり

「酒は満杯に、茶は八分目に」ということをよく聞く。だが、それはなぜかと言われると、見当がつかず言葉に窮してしまう。

ある日、茶道に精通した友達と一緒にお茶を飲んでいると、友達はお茶を点じながら、「古来、茶道では茶は七分しか入れない。三分を残すのは情理である」と言った。

  私は、はっと心が動いた。扉が知らず知らず開いたように、いろいろな想いが湧いてきた。

そういえば、我々が幼いころから受けてきた教育は、力いっぱい努力し、完璧にまで達するように、最後まで力を尽くせとの教育であった。しかし残念なことに、努力して学習する過程における心の楽しさと豊かさを粗略にしてしまった。自分にも三分の熱情を残し置き、学習の楽しさを味わうのを忘れ去り、他人にも三分の余裕を与え、友情を深くするのを全く忘れてしまってきた。

ホンコンのエンターテイメント系の雑誌におもしろいエピソードが載っていたのを思い出す。映画・デレビ・歌謡曲のスターだった王傑さんは、有名になる前には、スタントマンとしてデビューした。しかし、王さんは自分が有名になってからも、自分ができるトリック・ショットでも、ほかのスタントマンに頼んでやってもらっていた。記者から「有名になって、慎重になったのでは?」と聞かれると、王さんは微笑んで、「自分の出身をちゃんと心得ている、だからこそ、他人にチャンスをやるのも忘れないのさ」と答えた。

同じことがほかにもある。バスケットボールスターのジョーダンさんは広く知られたプレーヤーである。ジョーダンさんがNBA史上に他に比類のない存在になったのは、人に優れたテクニックだけでなく、競技を自分一人の独占興行とせずに、チームメートにシュートのチャンスを多く譲ったからでもある。正にこのために、ジョーダンさんは始め得点最高記録を作った時、単なる一人のバスケットボールのスターにすぎなかったが、後には真のNBAのリーダーとなり得たのだった。

生活に多くの不愉快な出来事があるのは、実は自分の努力不足によるわけでもなく、また不公平に扱われているからでもない。それは、私たち自身が他人にその余地を譲ることを知らないからだ。

もし、身近の同僚たちに出世のチャンスを争わずに譲れば、たぶんオフィスの中の無味乾燥さと孤立無縁とにとらわれなくて済むであろう。

またもし、私たちが身近の親友に対して時間に寛容になり、もっと穏やかな心をもって彼らとつきあえば、友達はますます増えることであろう。

もし、私たちが自分自身に寛容になり、名利を追求する代わりに、頭をあげて青空を望み、親族のことを考えれば、私たちの心は早期に堅く衰えてしまうことはないであろう。不平不満などが顔に出ることもなく、自然な笑顔が失われることもないはずである。

「古来茶道はお茶を七割しか入れず、残った三割は茶の情理である」と言われる。したがって、茶を少し残して他人に譲るように、熱情と余地を少し残して、自分を早めに衰えないようにするのがよろしいのだ、、、

編集者:性恩行者 編集日付:2013-08―17

 

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