霊隠文化

信者のご布施への感謝 霊隠寺が40万人分余の「臘八粥(ラーバージョウ)」を布施

  2013年1月19日、旧暦12月8日は教祖、釈迦牟尼(しゃかむに)の成道日(じょうどうにち<悟りを開いた日>)に当たります。「臘八粥(ラーバージョウ)」という伝統的民族文化を発揚し、羊飼いの女性が奉げた乳粥(ちちがゆ)でお釈迦様が成道(じょうどう)したことを記念するために、また信者のご布施への感謝を表し、また社会への恩返しをするために、霊隠寺では「臘八粥」を振る舞う行事が行われました。この日、杭州市民、観光客、参拝者、護法の居士(こじ)の皆さんが共にこの臘節を過ごしました。

 毎年、「臘節」の日には拝観料無料で、法師とボランティアたちが手作りの「臘八粥」を遠くからやってきた観光客、参拝者や信者たちに布施します。今年の施粥(せしゅく)活動は早朝の5時半から始まりました。お粥をもらいに来た人達は、寺院の入り口から図書館の西側の施粥場まで長い列を作って並びました。皆の顔から、熱くて美味しい霊隠寺の「臘八粥」への期待、それに仏法僧(ぶっぽうそう)三宝の加持及び護法龍天の護祐(ごゆう)への期待が見られました。施粥活動は午前11時頃まで続き、6時間で合計「臘八粥」を16.2万人分布施しました。

 

寺院の外から境内の施粥場まで並ぶ人達

 有利な寺院の条件と仏教の世論への影響力を十分に発揮し、また環境にやさしい健康的な食習慣を提唱して、伝統的民族文化を伝承するとともに、杭州の素食業の発展を促し、さらに「東南仏国」を建設するために、霊隠寺の法師と「雲林ボランティア団」の200人以上のボランティアたちは、杭州市の上城区、下城区、拱墅、江幹区、西湖区、濱江区、余杭区といった七区域及び福祉施設、児童養護施設、老人ホームなど合計20カ所で、同時に施粥(せしゅく)活動を行いました。さらに、施粥の範囲を広げて、忙しく働いている清掃夫の人たち、警察、交番、タクシー運転手などの人たちにも霊隠寺の「仏様のお粥」を送り、暖かい祝福を表しました。今月の17、18日に、法師とボランティアたちはすでに前もって、老人ホーム、福祉施設、幼稚園など合わせて8か所で1万人分近くのお粥を布施しました。寺院外での施粥は合計15万人分に達しました。

 杭州西城広場での施粥活動

仏様のお粥のお布施(境内で)

清掃夫たちへの施粥

高速道路で交番の人たちへの「臘節(ラーバージエ)」の祝福

タクシー運転手たちへの「臘粥」のお布施

 今年の施粥活動は、落花生、小豆、蜜棗、龍眼、棗、雪手亡、蓮の種、ぎんなん、それに糯米(もちごめ)と白砂糖などの材料、合計13種類で50トンを仕入れました。2012年12月11日から既に「臘粥」の手配が始まり、2013年の元旦から正式にお粥を作り始めたものです。

「臘八粥」をもらい、うれしそうな市民(境内で)

ただちにお粥を味わうお年寄りたち(境内で)

幸せいっぱいの仏様のお粥(杭州西城広場)

 

めでたさ溢れる霊隠寺の「臘八粥(ラーバージョウ)」(西城広場)

霊隠寺の「臘八粥」を食べると、古刹の霊気が伝わる(境内で)

仏様のお粥を持ち帰り、家族と共に分かち合う(寺院の外で)

寒がり屋の鳩でも喜びを感じるように、地面に来ている(境内で)

 霊隠寺の方丈、光泉法師によると、ここ数年来、霊隠寺がずっと「臘節」に施粥活動を行ってきた目的は、施粥活動を通して、忙しい現代社会に暮らしている大衆に伝統的節気への感情を取り戻し、また、国家の安泰、社会の安定を祈ることにほかなりません。霊隠寺は信者への感謝及び社会への恩返しのため、また、中国の伝統文化を発揚し、大衆に中国の伝統的民俗行事の文化的な意味及び魅力を感じてもらい、民俗文化を絶えず推進し、杭州の経済発展と社会の安定を促進するように力を尽くしています。おいしい「臘八粥」をお食べになる皆様に、このお粥に含まれる感謝の意味と、法師とボランティアたちの奉献精神を感受していただき、同時に、霊隠寺のことをご理解され、ご支持していただきたいと言っています。

施粥前に、念入りに手配をしている「雲林ボランティア団」の皆さん

現場で行列の維持につとめる「雲林ボランティア団」の皆さん

 

付記:「臘八粥」の由來

 『仏本行集経』の記載によると、お釈迦様は成道(じょうどう<悟りを開くこと>)する前に、当時流行っていた各種の法門を修業しましたが、どうしても悟りませんでした。その後、六年間もの苦行を積んでも、悟ることなく、心身を極度に消耗しただけでした。その際、苦行を放棄したお釈迦様は羊飼いの女性のミルク粥(牛乳で作ったお粥)の布施を受け、気力を回復し、ピッパラ (pippala) 樹(後に菩提樹と呼ばれる)の下で、「今、悟りを得なければ生きてこの座から立たない」という固い決意で観想に入りました。その後、ついに智慧で解脱の正道を悟りました。その日が旧暦の12月8日とされます。お釈迦様がこの日に成道したゆえに、寺院では毎年この日に米、豆など雑殻や棗、栗、蓮の種などで調理したお粥を仏壇に供えることにしています。後に、信者や施者への供養を感謝するために、この日に信者へも「臘八粥」を送り、「臘節」に施粥する習慣も民間でだんだん広まりました。

 清の時代の呉曼雲は『江郷節佛詞・小序』で、「杭州の民習である臘八粥は、別名七宝粥(チーバージョウ)で、もともと仏様を供養するためのものだったが、今民衆の間でも盛んである」と述べています。これによって、だいぶ以前から、杭州の寺院では「臘節」に民衆に「臘八粥」を布施する習慣があったということが分かります。

 「臘節」は伝統的祝日としては、この日の施粥活動は主に成道前のお釈迦様が村娘のミルク粥(牛乳で作ったお粥)の布施を受けたことを感謝しようということでした。「臘八粥」は施粥という方式で社会への恩返し、信者からの供養への感謝を表します。この故、「臘節」は仏教の感恩節とも称されます。また、「臘節」には、素朴な大衆の健康や幸福への期待、順調な生活への念願も見ることができます。                       

 

 

 

 

 

 

 

 

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