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霊隠寺の「石塔」と「経幢」が
第七期国家重要文化財に認定される

  5月3日、中国国務院から第七期国家重要文化財として史上最多の1943カ所が当選し公表された。杭州市は既に24カ所が国家重要文化財と認定されており、今期、認定された霊隠寺の「石塔」と「経幢」をはじめとする14カ所をいれると、杭州市の国家重要文化財は合わせて38カ所となった。

  今期、国家第二類古建築で国家重要文化財の一つとして選ばれたのは霊隠寺の「石塔」と「経幢」である。 

霊隠寺の境内に入って、大雄宝殿に進むと、大雄宝殿の前の左右にそれぞれ石塔(せきとう)が一つずつ置かれている。この石塔は、まっすぐに高くそびえている。さらによく見ると、塔には140あまりの彫刻が施され、仏教造形を顕然と浮かび上がらせているのが見える。この二石塔は銭弘俶(せんこうしゅく)が北宋の建隆(けんりゅう)元年(960年)に霊隠寺を再建した時に作られたものである。当時は塔が四つあったが、今はこの二塔だけ残っている。この二塔は互いに42メートルほど離れており、八角の楼閣式となっている。

東石塔と二石塔の全容

塔の上の彫刻造形

    二つの経幢(きょうどう)はそれぞれ天王殿の東側と西側に位置している。東幢(とうどう)は霊隠寺の入り口(寺の外)に、西幢(さいどう)は霊隠寺の出口(寺の中)に位置している。幢体に彫刻された『建幢記』とその『附記』によると、この経幢は呉越王が北宋の開宝(かいほう)二年(969年)に建て、もともとはお廟であった奉先寺に置かれていた。景佑二年(1053年)に、霊隠寺の延珊方丈によって霊隠寺へ移された。経幢はもともと十二階建てであったが、すでに一部しか残っていない。両方とも多層の八面建築で、基座は三層の須弥座(すみざ)で、幢体(どうたい)には「随求即得大自在陀羅尼呪」や「大仏頂陀羅尼」などの経文が刻まれている。

 西経と東経

幢の上にある彫刻造形

 

  「石塔」と「経幢」は宋時代の建築と造形形式を研究するための重要な歴史的建築である。現在では得がたい歴史的資料ともなっている。さらに、この二建築は歴史学の研究にとって、その希少価値が認められている。

 

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